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高校生・受験生・ 大学生・社会人対象

大学事情・今昔表裏

 わたしが大学に在籍していた頃,経験したこと,見聞きしたことを記していきます.
 基本的に今の話か,昔の話かは記載しません.
 大学を選ぶときの参考になって頂ければと思います.
 大学というところは極めて複雑な構造をしています.一度 「 大学の組織構造 」 に目を通して頂けるとわかりやすくなるかもしれません.
 わたしは理系の学部に所属していましたので,文系志望の方にはあてはまらないかもし れないことを,お断りしておきます.

そもそも研究とは

ご存知のように,大学を卒業するとき,殆どの学生は卒業論文,俗に卒論を書き ます. 大学の単位に「卒業論文」というものはなく,一般には「卒業研究」です.
また,理系に進学した学生さんの多くは大学院の修士課程に進学します. そして,卒論同様,修士論文(通称:修論)を書きます.
では,そもそも「研究」とはなんでしょうか?

 研究とは実験や考察,論考を通して一つの知見を得ることです.
そしてその知見には,新規性・有効性・普遍性の三つが必要となります.
これら三つの要素を含んだ知見を研究といいます.
新規性とは,今まで誰も知らなかった新しい知見,有効性は,世の中の役に立つ こと,そして普遍性はいつでもその知見が使えることです.
もし,これらのうち一つでも欠けるとどうなるでしょうか?

「太陽が東から昇ることがわかった」という知見は有効ですし,普遍的でもあり ます.しかし,新規性が欠けているため,研究とはいいません.
また,「我が子のお尻に黒子があることがわかった」という知見は,確かに誰も 知らない発見でしょうし,普遍的でもあります.しかし,あまり世の中の役に立 つとはいえないので,やはり,これも研究ではありません.
さいごに,「駅前の宝くじ売り場は必ずあたる」はどうでしょう.何度か買って みた結果,そのような知見を得たのかもしれません.確かに,新しく,役に立つ 知見ではありますが,誰も普遍的とは思わないでしょう.

研究とは,三つの要素を含んだ知見を得ることと覚えておいて下さい.



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恐るべき記憶力

これはある教授の話.
この先生,時間割が決まり,自分の講義をする教室が決まると,一度その教室を 見に行く.
そして,横に何席あって,縦に何席あるかを数えて来る.
その後,机の配置通りの図を作り紙に印刷する.

講義が始まると,その紙を学生に渡し,学生は自分の座っている机に学生番号と 名前を記載する.代筆しているか否かはお構いなし.とりあえず,点呼すること なく,出席簿が出来上がる.

毎週,毎週,これをやる.
だけど,この出席をとる紙は5,6週すると回らなくなる.
この段階で,学生は「この先生,出席とるのを止めたんだ」と思う.
でも,実際は全く違っていて,この段階で,この教授,学生の顔と名前を憶えて しまっているのです.約100人の顔と名前を5,6回で覚えてしまうのです.なの>で,出席をとる必要がないのです.誰が出席しているのか全部分かっているんで すから.
ところが,話はここで終わらない.どこから情報を持って来るのか知らないけど ,この先生,学生の所属クラブや出身高校まで知っている.
恐ろしい話であります.

学期末試験が終わると採点しながら,○○君と××君,隣に座っていたもんなぁ,と ニヤニヤします.
それで,これらの学生がどうなったかはご想像にお任せします.



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大学生とうつ

わたしの若かりし頃,「五月病」という言葉がありました.
今,この言葉を聞くことは殆どないように思います.
昭和40年以前に生まれた方はご存知なのではないでしょうか.
この言葉,希望を胸に大学に入学したり,企業に就職したりしたものの,現実の 厳しさに 気付き,5月頃になると無気力になってしまう人のことを指す言葉でした.
さて,昨今はどうかというと,さらに厳しくなっているようです.
大学に入ったら,部活に入って,アルバイトをして,恋人も出来て,とバラ色の 学生生活 を描いていたものの,現実はそんなに甘くはない.
毎週,毎週,演習の授業や学生実験の授業があり,翌週までにはそれらのレポー トを書き 上げなくてはならない.
平日は昼間の講義で疲れてしまうので,レポートは週末の土曜,日曜日を使って 書き上げ る.
デートどころか,友達と遊ぶこともままならない.
あぁ,俺のバラ色の学生生活はどんどん灰色に変わっていく.
そんな中で陰鬱な気分になっていく学生が結構います.
この入学直後がうつ状態になる最大の危機です.
二番目の危機は卒論作成時期に来ます.
卒論なんて書いたことがない.何を書いていいか分からない.
書くための実験も思うように進まない.
周りの同期生はどんどん進んでいるように感じる.
俺だけがダメなんだ.
そのように感じてうつ状態に陥ってしまう.
これが二番目の危機です.
みんなやっているんだから,自分だけが出来ない訳はないと,気楽に考えて大学 生活を送 って頂きたいものです.
また,家族や友人の方々は,特にこの時期,注意を払って頂ければと思います.



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一人わかっていれば

今は昔,私が大学院の学生だった頃の講義の一コマです.
今はこのようなことはないであろうことをお断りしておきます.
P教授が講義の中で「条件A,B,Cは同値なんだ.」と説明を始め,
「これから,AならばB,BならばC,CならばAを証明していく」
「ただし,AならばBの証明は簡単だけれども,CならばAの証明は難 しいんだ」教授がこのように言ったところで,
一人の学生が手を挙げて, 「CならばAの証明は難しいと先生は仰いますが,こうで,ああで,こうだから ,簡単に証明できますよ.でも,先生が簡単というAならばBの証明は,ああで ,こうで,ああだから,そんなに簡単ではないと思いますよ」と発言した.
するとP教授「確かにそうだね.一人わかっている人がいるから,いい か.じゃぁ,次にいこう」と言って,この証明は終わってしまいました.
当時の大学院というのは,エリートというか,学者を育てることに主眼 があったようで,講義を聴いている学生全員に理解させるなどという気持ちは先 生方になかったようです.

今は,殆どの学生に理解させることに主眼をおいていますから,このよ うなことはないはずです.
しかし,裏を返して考えると,これは講義のレベル低下を招いているこ とを意味します.
一握りのエリートを養成するのが大学院か,それとも,なるべく多くの 学生に少しでも知識を身につけてもらうのが大学院なのか.
どちらが,大学・大学院の使命なのかは,意見の別れるところだと思い ますが,現在の大学院は後者に傾いているようです.



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友達を作ろう

近年,大学の講義は易しくなっています.
易しくなっているとはいえ,大学は大学です.
つまり,卒業論文,修士論文では最先端の研究に迫らなくてはならない のですから,一年生のうちは易しくとも,みるみる講義は難しくなっていきます .
殆どの学生にとって,高校時代のように講義を聴いただけで理解する, ということは不可能です.
講義の内容がわからないときに,良き相談相手となるのが友達です.
特に,高校時代優秀で,授業を聴いて分からない,という経験のない学 生ほど,講義の難しさに困惑します.
この経験のない学生に友達がいれば,友人に「ここわからないんだけど 」と相談すると「俺もわからない」となり,なんだ,わからないのは俺だけでは ないのか,と安心できます.
もちろん,わからない箇所を教えてもらえれば,もっと安心できます.
ところが,友人がいないと,高校時代に優秀な生徒達の中で過ごしてき ただけに,自分だけがわからない,という気分になってきます.
周りをみると,みんな分かったような顔をして聞いている.
先週の講義もわからなかったし,今週もわからない.
この「わからない」が重なるうちに,だんだんと大学への足が遠のきま す.
欠席気味になり,気が付くと単位を落とす.
そして,不登校となり休学,そして退学ということがしばしばあります .

折角,苦労して入学した大学です.
このようなことにならないよう,大学に入学したら,まず友人を作るこ とをお薦めします.



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教授も人間だった

これは,私が若かりし頃の話です.

とあることから,A教授宅に招かれてお酒を飲む機会がありました(私はお酒を飲めませんが).参加者はB教授,C教授,国立研究所の相当偉いDさん,そしてA教授夫人と私です.
あまりにも偉い方ばかりなので,いたたまれず身の置き場に困ったことを,今でも覚えています.
様々な話の中で,ふとB教授がC教授に向かって「Cさんは,神様だよな」と話し始めました. 「だって,Cさんは徹夜なんてしないだろう」「俺は今年も徹夜をしたよ」
そこで,私が「なぜ,徹夜なんてなさるのですか?」と尋ねると,
「卒論を書かない学生がいるから,そいつの卒論を書かなくちゃいけないじゃないか.だから徹夜して卒論を書くんだよ」とのお答え.
そこですかさず,A教授の奥様が
「卒論を書かない学生なんて留年させてしまえばいいじゃないですか.なぜ,かわりに卒論なんて書いてあげなくてはならないんですか.」
としごくまっとうな質問をしました.
するとB教授曰く,
「だって,そんな卒論も書かない学生なんて顔も見たくないじゃないか.そんな学生にもう一年いられても困るんだよ.だから,さっさと出て行って欲しいんだ.だから,俺が書くの」とのお答え.
当時は私が若かったこともあり,教授を神様のように感じていたため,非常に驚くと共に,「教授といえども人間なんだなぁ」と妙に安心したことを記憶しています.

このような学生にならぬよう,皆さんは日々,精進して下さいね.



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就職戦線

ある有名国立大学の先生と研究に関する討論を行うために,その大学へ訪れたときの話です.
校門まで出迎えて下さった先生と話しながらキャンパスを歩いていると,ところどころに「就職ガイダンス:会場○○」の立札がありました.
ときは12月です.その先生に,
「この就職ガイダンスは3年生向けなのですか」
と尋ねたところ,
「3年生向けと4年生向けの両方です.」
とのお答え.私が勤めていた大学では,4年生の就職先が決まるのは事実上5月があたりまえで,夏休みまで決まらないと,本人は焦るし,周りは心配するし,でしたから,非常に驚きました.
前述のように,この大学は有名国立大学で偏差値も決して低くありません.
本来,大学というものは,学びたい分野,研究したいテーマに関して探求していく場であり,就職のための予備校ではありません.
しかし,このような理想論を振り回したとしても,大学を卒業すれば社会に出て働くのが現実ですし,どうせ就職するのであれば,己の働きたい環境を求めるのは当然のことです.
有名であり,偏差値が高くとも,就職することが易しくない大学があることはこの大学だけのことではありません.
なぜ,偏差値が高いのに就職が決まらないのか.
それは企業がその大学の学生がどの程度勉強しているのか,また教員が学生に対してどの程度熱心に教育しているかをおおよそ把握しているからです.
大学を選ぶ際には偏差値,知名度だけに頼るのではなく,可能な限り情報を収集して決断して頂きたとおもいます.



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大学教員にはなれない(1)

平成30年1月5日の新聞記事に第一生命が「大人になったらなりたい職業」の調査結果を発表したというものがありました. 15年ぶりに「学者・博士」が1位になったそうです.
また,新しく入塾する生徒さんに,将来どのような職業に就きたいかを尋ねると,ある程度の頻度で「研究者」という声がかえってきます.
ここでいう研究者というのは,殆どの場合,大学教員を意味します. ところが,研究者にとっての「研究者」とは大学に所属している人と,企業に所属している人がいます.
実際,私が所属していた学会では,大多数が企業の研究者でした.
さて,では大学教員にどうすればなれるのか,また現実的になれるのか?という話です.
工学に限ると文部科学省の調査では平成25年度に国立大学の教員数は12,000人です.
現在は教員数が減る傾向にありますが,単純に一人が40年働くとすると一年間の採用人数は300人です.
一方,博士課程の在籍者数はJSTの調査によりますと18,000人です. これも単純に計算すると一学年あたり6,000人の学生がいます. これにいわゆるポスドク,すなわち博士の学位はとったものの,まだ就職できずにいる人たちもいますから,単純計算で20倍以上,おそらくは30倍程度の狭き門となっているのが現状です.
この狭き門をどのようにして掻い潜るのか?
第一義的には研究業績です.
すなわちどの学会に論文を何本発表したか,どの程度権威のある国際会議で何回発表したかなどです.
この先はだんだん話が危なくなってきますので次回以降に.



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大学教員にはなれない(2)

今は大学教員を採用する際には公募が一般的です.すなわち,国内はもとより場合によっては海外も含めて広く採用枠に応募してもらい,その中から最も優秀な人材を確保する採用方法です.これ以後は,もちろん公開されている話ではありませんから,こんなところに書き込んでよいのかわかりませんので,ここだけの話です.いろいろな大学の先生に伺いますと,送られてくる応募書類は100通程度になるそうです.その中から書類選考を経て,ごく少人数にまで絞られて,さらに一人だけが採用されるのです.では,書類選考で何を見るのか.先にも触れましたように基本的には研究業績です.しかし,100通もの応募があると相当な業績を持った方がかなりの数いるはずです.その中で,学会で賞をとったことがあるか否かがカギを握る場合があります.いよいよこのあたりから話が怪しくなります.というのは,賞によっては投票によって決まる賞があるのです.投票となると組織票がものを言い始めます.○○大学の組織票とか,○○先生のグループの組織票などです.これを単純な言い方に変えますと,大規模な大学に所属していたり,有名な先生の弟子であったりすると,受賞し易くなるということになります.つまり,大学教員になるためには,大規模な大学に入学できるか否か,有名な先生の弟子になれるか否かが関係することになり,それはとりも直さず,大学受験のときにどの大学を選ぶのか,そして大学に入学して研究室を選ぶときにどの先生に師事するかというか,かなり早い段階から競争が始まっていることになります.



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講義を英語で(1)

今,大学では講義を英語で行うよう着々と準備を進めています. 「○年後までには,講義の○○%を英語で行う」といった具体的な目標が掲げられています.
先日,とある大学教授の方とこの件についてお話ししましたが,その先生は大反対なさっておりました. 私も講義の英語化には反対です. その先生は
「母国語で学問を習得できる国は世界に決して多くはない. 先人の苦労により母国語で学問できる有難い環境に我々はいる. 折角そのような環境にいるのに,英語で講義を行えば,レベルは間違いなく下がる. そんなことが許されてよいはずがない」
と憤っていらっしゃいました.
同様なことは多くの先生方が口を揃えておっしゃっています.
母国語で聞いてもわけの分からない話を英語で話されてしまえば,全くちんぷんかんぷんになります. ですから,英語でも分かるレベルまで話の内容を落とさなくてはならないのです. また,学生側だけの話ではありません. 大学の先生は学会で世界中を飛び回っているとはいえ,所詮日本人です. 自在に英語を操り,学生が理解し易くなるように話すことができる先生の数は限られています.
上手に英語を話せない人が,うまく聞き取ることのできない人に向かって,難しい内容の話をする.
まるで漫才のようなことが「グローバル化の時代」を合言葉に大学という学問の場で実現され,それをさらに推し進めようとされているのです.
なぜ,このようなことが起きているのか私見ではありますが,次節で述べたいと思います.



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講義を英語で(2)

これよりは完全な私見ですので,実際とは異なるかもしれないことを前もってお断りしておきます.
時は1980年代まで遡ります. 他の分野のことはよくわかりませんが,少なくとも私が学んでいた分野では優秀な論文が「日本語」で数多く出版されていました. その日本の智慧を吸収しようと,英語圏には真剣に日本語の勉強を始めた学者も数多くいました. しかし,英語圏の人々にとっと日本語,特に漢字は決して易しいものではありません. そこに登場するのが日米構造協議や年次改革要望書です. これらを通して日本人に論文は英語で書くことが強く求められ始めます. 日本人が英語で論文を書くようになれば,労せずして智慧を英語圏の人々が得ることが出来るのです.
ところが,ことはここで収まりませんでした. 経済状況が芳しくなかった米国では,英語圏で学問を習得した人たちも就職先の確保に苦労し始めたのです. そこで,「科学の共通言語は英語である」との美名と「グローバル化の時代」を御旗に日本においても大学での教育を英語でするようにせまります. 日本の大学が英語で教育するようになると,米国人が日本で働くことが可能となるからです. この流れに巻き込まれてしまったのが,今の高校生であり,中学生であり,さらにはこれから生まれて来る子供達です. 今一度,教育とは誰のためのものであるのか考え直すときではないでしょうか.



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大学の組織構造

一般に大学と言っても,総合大学と単科大学の二つに別れます.英語で言うと University と College です.総合大学は二つ以上の学部をもつ大学であり,単科大学は学部が一つだけの大学です.○○教育大学や○○工業大学という名称のことが多いようです.一つの学部は幾つかの学科からなります.今では,学科と呼ばずにコースや課程などとよぶことがしばしばあります.この学科の下には研究室があります.研究室には教員が複数いる場合もありますし,一人しかいない場合もあります.どちらにしても,4年生になると,大学によっては3年生の後期からこの研究室に所属して卒論執筆やゼミナールに参加することとなります.大学というと,4年生が最高学年のように思うかもしれませんが,研究室という単位でみますと,4年生が一番下の学年です.4年生の上には修士課程(博士前期課程)の学生が2年生までおり,その上に博士課程(博士後期課程)の学生が3年生までいます.

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