個別数学系専門塾

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塾の姿勢

「わかる」を「わかる」

「わかる」とはよく使う言葉だと思います.
職場では上司が部下に「わかったか?」,学 校では先生が生徒に,そして家庭でも親が子どもに.
その答えは多くの場合「わかりました」です .

では一体、「わかる」とは何でしょうか?
「わかった」とは,その内容を自分よりも知 識のない人に説明できるようになったときに,
初めて「わかった」と当塾では考え ます.
決して,問題を解けるようになることと,「 わかった」は同じではありません.
学校で習ったことを「わかる」ようにする.
それが当塾の目標です.

学校ありき

 予備校や学習塾の中には「当塾の方針に従えば,志望校に受かる」というスタンスで教 えているところがあります. 甚だしきは,自宅ではこなしきれないほどの宿題を出し,学校の授業中に塾の宿題をやる ことになるといった本末転倒まで生じることがあります.

 当塾ではこのような方針に真っ向から反対します.
「学校ありき」でなくてはなりません.

賛否両論あると思いますが,文部科学省の学習指導要領を読むと,なるほどよくできてい ます. これをうまく運用するか否かは現場の先生の力量によるものではありますが・・・.

将来にわたって役に立つ知識はしっかりとした基礎があってこそです.小手先のテクニッ クで目先の問題が解ければよいのではない.その基礎・土台を教えてくれるのが学校であ り,その学校をおろそかにしてはいけない. 

学校で習ったはずのことが身についていないのであれば,まず基礎を固めなくてはならな いし,もう既に基礎が固まっているのであれば,もっと難しい問題を解くか,もっと先の 勉強をすればよい.

目先の問題が解けるからといって,無理に難しい学校へ進学しても,おちこぼれてしまっ たり,無気力になってしまったりすることが間々あります.まず,基礎を固めて欲しいの です.

「なぜ?」と尋ねます

問題を解いた答えがあっていようが,間違っていようが,「なぜそうな ったの?」と尋ねます.
中学校(場合によっては高校も)の問題は複雑には出来ていないため, 考え方が間違っていても,偶然正解になってしまうことがしばしばあります.
答えがあっているからといって,考え方,導き方もあっていると考える のは危険過ぎます. 逆に答えが間違っていても,考え方があっていればそれでいいのです.
もちろん,答えが間違っているのですから,試験の場合には満点をもら えることはありません. ですが,考え方があっているのに,答えが違うということは,+(プラ ス)と−(マイナス)を書き間違えたり,暗算をしたときに,繰り上がりを忘れたりとい った軽微な間違いです. 確かに,軽微な間違いだって間違いであることに変わりはありません. しかし,考え方の間違いと書き間違いは同列に扱ってよい問題だとは思 いません.

正しく理解し,正しい筋道(筋道が一つとは限りません)で考えている か否かを把握することは,生徒を指導する上で極めて重要なことと考えています.

また,「なぜそうなったの?」と聞く理由はもう一つあります. それはコミュニケーション能力に関わる問題です.
現代の風潮として,自分の意見を明確に主張しない傾向があります. お互いが嫌な気分になりたくないので,意見や感想をぼやかして話す風 潮です. 「〜みたいなぁ」という表現に代表されるのではないでしょうか. しかし,自分の考えを相手に対して正確に伝えられないと誤解や齟齬が 生じたり,場合によっては「わかってない」と評価されることもあります. 自分の考えていることを正確に相手に伝えることは将来にわたって必ず 必要となります.

ですから,当塾では「なぜそうなるの?」と尋ねます.

塾の勉強だけでは足りない

補習塾を目指している以上,学校の勉強を十分理解できていないことを前提にお話しします.

勉強,特に受験をマラソンに例えてみます.
中学校入学から,もしくは小学校の入学から志望校の合格を目指して皆が走っています. マラソンの順位を学校の成績の順番と解釈するとわかり易いと思います. 前を走っている人は,自分よりも早いスピードで走っています. つまり,一週間あたりの勉強時間が多いと思って下さい. 今,自分は200番目を走っている. なんとかして100番目になりたいと思ったとき,100番目の人と同じスピードへとスピードアップしても,永遠に追いつきません. 少なくとも100番の人よりは早いスピードで走る必要があります.

もし今まで走ることなく,歩いているか立ち止まっていたのだとすれば,相当なスピードで走り始めなくてはなりません. つまり,塾に通っているのだから,家庭では勉強しなくてもよい,ということには決してならないのです. 勉強の必要性については当塾で説明していきますが,家庭でも勉強するようにと,決して怒ることなく,導いてあげてもらいたいと思います.

数学に重きをおく訳

枝葉末節を気にせずに言うと,数学という科目と社会という科目は対極にあります.
数学は自らが理論的に考えることが主眼とされた科目です.
理科にもそのような側面はあります. 高校で言う物理がその範疇に入ります. その一方で生物や地学のように記憶が大きな割合をしめる側面も持ち合わせます.
英語はことばですから,理論的に考えるような科目ではなく,最終的には慣れです. しかし,中学校レベルでは単語や文法を覚えることが主眼となります.
国語も英語と同様に言葉ですから論理的に考える科目ではありません. 国語の問題について解説した本の中にはパターンがあると書いてあるものがありますので,その意味からは暗記科目と言ってもいいかもしれません.
社会は暗記科目の典型と言っていいでしょう.

 暗記科目と考える科目の違いはなんでしょうか. 暗記科目とは問われた質問に対して,記憶していることを回答する科目です. 例えば“葡萄”という漢字はなんと読みますかと問われたとき,知らなければ答えようがありません. つまり,知っていれば答えられるし,知らなければ答えたれないという科目です.

それに対して考える科目とは,与えられた条件を知識に基づいて加工した上で回答する科目です. 例えば図形の問題で角Aは何度ですか?と尋ねられた場合に,○○の定理や○○の公式を用いて,こっちの角度が何度だから,そっちの角度が何度になって,だから角Aは何度ですと答えます.
つまり,問題を解く際に,持っている知識の中から問題に適合した知識を選び出し,その知識を駆使して回答するのが,考える科目です.
だれもが,四則計算の方法に始まり,様々な定理や公式を頭に入れているはずです. もちろん,持っている知識が問題を解く上で足りなければ記憶しなくてはなりません. ただ,知識を持っているから問題を解けるかというとそうではないことを皆さんはよくご存知と思います.

そこで,知識の使い方,すなわち考え方を知る必要があるのです. この考え方を身につけるという科目は他の科目にはあまり見られない特徴であるため,そこに重点をおき,考え方や知識の使い方を我が物にする必要があると考えています.